知の泉

地方都市で子供に携わる仕事を、20年くらいやってます。受験・子育て・教育に関することやその他自分の知的好奇心をくすぐった話題を呟いています。時々自分で食べて美味しかったもの、これ欲しいなあというものも呟いたりしてます。

【学校嫌だ】【親も嫌だ】【何もかも嫌だ】もっと自由になりたいと思うあなたへ

【学校嫌だ】【親も嫌だ】【何もかも嫌だ】もっと自由になりたいと思うあなたへ

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【学校嫌だ】【親も嫌だ】【何もかも嫌だ】もっと自分は自由になりたい、そんな気持ちでこのサイトにたどり着いた人へ。

 

学校での人間関係、親との関係、もう何もかもが嫌だと思うことあるかも知れません。

 

理由はみなさん様々なのでしょう。

 

もう、学校なんか嫌だ、やめてしまいたい。親も嫌だ。親が引いたレールには縛られたくない。人生何もかもが嫌だ。自分はもっとこの状況から自由になりたい

 

そういった皆さんに、私が最近出会った文章を紹介したいと思います。

 

I believe in freedom, in man's right to be himself, to assert himself and to fight all those who try to prevent him from being himself.

But freedom is more than the absence of violent oppression.

It is more than "freedom to"ーthe freedom to become independent ; the freedom to be much, rather than to have mudh, or to use things and people.

 

自由、つまり人が自己を主張することによって自分自身であろうとし、そして人が自分自身であることを妨げようとする者と戦う権利、それは素晴らしいものであると私は信じている。

 

しかし自由とは単に何かに抑圧されない状態を意味しているだけではない。

 

自由とは「何かから逃れる自由」以上のものである。

 

自由とは「何かに向かう自由」ーつまり、自立する自由を意味する。言い換えれば、多くのものを持つ自由あるいは人や物を使う自由というよりむしろ、もっと大きなものへ向かっての自由なのだ。

 

これは、最近生徒と読んだ英語長文で出会った文章です。(拙訳で申し訳ありません)

 

そうです。あなたにも私にも『自由』があるはずだし、それ自身は素晴らしいものだと思います。

 

でも、それを単なる「何かからの自由」にとどめておくのはもったいなくはないですか?

 

嫌だから学校から逃れる、嫌だから親から逃れる、嫌だから今の自分から逃れる。それも確かにあなたの「自由」です。

 

今置かれている状況が本当に苦しいのであれば、いったんそういった抑圧から逃れる自由はあって良いと思います。

 

「嫌だからといって逃げるな」と言うつもりはありません。きっとあなたの心も身体も悲鳴を上げているのでしょうから。

 

しばらく「その何か」から逃れて自由でいる時間を過ごすのが良いと思います。

 

でも、きっとそれは「何かに向かっての自由」の「何か」探しの時間でもあると思います。

 

そしてその「何か」を見つけ、その「何かに向かって進んでいく自由」を謳歌できる時がくることを信じて、一歩だけ先に進んでみませんか。

 

偉そうに、と思うかもしれません。いい大人になった私自身も、今まで好き勝手に生きてきましたが、いつだって、そして今だって「何かへの自由」の「何か」探しの旅を続けている気がします。一緒に「何かに向かっての本当の自由」を追い求めていきませんか?

 

以上今日は、最近読んだ英語の長文から、【学校嫌だ】【親も嫌だ】【何もかも嫌だ】もっと自由になりたいと思う人へのメッセージを綴ってみました。