民放CM「一緒にやろう2020」には強烈な違和感というのが個人的な感想
民放五社が共同で2020オリンピックを盛り上げようという「一緒にやろう2020」というコマーシャル。
個人的には強烈な違和感をもって見ています。
一応断っておきますが、自分ではオリンピックを含め、様々なスポーツを生であるいは、テレビで観戦するのは大好きです。
それぞれの個人が、あるいはチームが、その一試合に向けて準備・練習し、真剣に戦うさまを見るのは、ワクワクしますし、選手の努力には敬意をもって見ているつもりです。
応援するチーム・個人が勝った時には、大声で「やった!」と叫ぶこともあったりします。
また、サザンの桑田さんも大好きなので、応援ソングは楽しみでもあります。
でも、今回の民放CM「一緒にやろう2020」個人的感想は強烈な違和感を覚えるのです。
民放CM「一緒にやろう2020」違和感①「一緒に」の連呼
1分40秒の中で、「一緒に」という言葉は全部で10回出てきます。
オリンピックはみんなが「一緒に」やらなければいけないものなのでしょうか?
私のようにスポーツ観戦が好きな人もいれば、それよりは音楽や観劇、読書の方に興味を持つ人もいるはずです。みんなが「一緒に」オリンピックを応援しなくてはいけないのでしょうか?
好きな人は精一杯応援すればいい。
「一緒に」を押し付けなければいけないのでしょうか?それが一つ目の違和感です。
民放CM「一緒にやろう2020」違和感②オリンピックという言葉は一度も発せられていない。
確かに、CMの最初の画面上には「民放テレビ局が力を合わせて東京オリンピックを盛り上げる」という文字があります。
しかし、CM中で一度も「オリンピック」という言葉は登場しません。
本当にこれは2020年の東京オリンピックを盛り上げようということだけが意図のCMなのでしょうか?それが二つ目の違和感です。
民放CM「一緒にやろう2020」違和感③キーワードをつなぎ合わせてみると・・・
CM中のセリフをつなぎ合わせてみます。
「一緒に」
「できることは色々ある」
「変わり始める」
「何かが動き出す」
「実現」
「2020年」
どうでしょう?
もし、最後の決め台詞とテロップが
「一緒にやろう憲法改正2020 〇月 〇日国民投票」だったら・・・

これは、私の勝手な感想であり妄想です。
せっかくみんなでオリンピックを盛り上げようとしているのに、何を水を差すようなことを言っているんだという意見も甘んじて受けたいと思います。
でも、現状のまま憲法改正の国民投票のCMに規制がない状態で、自民党が主張しているように憲法改正の発議がなされたら、今回のようなCMを(お金さえ出せば)テレビ・ラジオで朝夕となく百回リピートで流すことも可能なのです。
「そうだよね。何だか分からないけど一緒に変えていかないとね」と視聴者に刷り込まれてしまう危険があるのではないかと恐怖を感じざるを得ません。
※なお、私個人の意見としては、現在の安倍政権下での憲法改正には反対の立場です。
特に集団的自衛権を行使容認した安全保障法制のまま9条に手を加えることといわゆる緊急事態条項には断固反対です。
以上今回は、民放CM「一緒にやろう2020」には強烈な違和感~国民投票PRコマーシャルかと思うと恐怖~という個人的な感想を綴ってみました。