そしてナチスが私を連行したとき、それに抗議する人はもうどこにもいなかった~朝日新聞 折々のことば・鷲田清一~2019/10/2を読んで
そしてナチスが私を連行したとき、それに抗議する人はもうどこにもいなかった
マルティン・ニーメラー
鷲田さんのことば
ナチスが共産主義者を連行した時も、社会民主主義者を監禁した時も、労働組合員を連行した時も、当事者でない自分には関係ないと、とくに声をあげなかった。そして攻撃がついに私に向けられた時、抗議の声をあげてくれる人は誰もいなかったと、ドイツの牧師はふり返る。その語りは平和を希(ねが)う人びとの間に詩の形で広がった。マルティン・ニーメラー財団のサイトから。(鷲田清一)
(折々のことば)1598 そしてナチスが私を連行し…:朝日新聞デジタル
特定機密法案の時、抗議・反対の声を上げた
テロ等準備罪(通称共謀罪)の時、抗議・反対の声を上げた
集団的自衛権行使容認(9条拡大解釈)の時、抗議・反対の声を上げた
いずれも,抗議・反対の声は国会で多数決の名で押し切られた。
そのたびに力が抜けた。
「自分の目の前の生活には関係ない」と思う人の大勢が、やがてそんなことは忘れて、現与党候補に投票したり、あるいは投票にすらいかず、そしてまた現与党は多数を占めている。
目の前では英語民間試験導入、共通テスト記述式の導入、e-Portfolio、といった大学入試改革が推し進められている。
その危うさに気づいている人たちは、数年前から抗議・反対の声を上げている。そのおかしさに気づいた高校生、保護者も声を上げている。
正直に言おう、自分では子供たちは大学入試を終えたから、大学入試がどう変わろうが「自分ごとではない」。
むしろ商売柄、うまく立ち回れば収益に結びつくことだってできそうだ。
それでも「おかしいものはおかしい」と声を上げなければ、そのおかしさのツケはいつか自分に回ってくる。
今回も、国会で多数を占める与党の思惑通り、事は進んでいくのだろうか?そう思うとまたしても力が抜けていってしまう。
国政を決める貴重な1票を持っている、いや持っていた1人として、実際に当惑しあるいはこれから実際の被害を受けるかも知れない高校生に対しては申し訳ない気持ちで一杯だ。
私にできるのは、おかしいものはおかしいと声を上げ続けること。自分が今何ができるのかを考え続けること。
そして、現在の危うい大学入試改革をどの政治家が先導しているのか、どの政治家がそれに反対の声・追及の声をあげているのか、それをしっかりと記憶にとどめ、次の1票に活かすこと。
声を上げてくれている高校生には頭が下がる。
実際に受験に臨む高校生・高卒認定生・浪人生・社会人の人たちが、勉強の方に力を入れられる環境になっていない現状を思うと言葉に詰まる。
今「おかしい」という気持ちの受験生が、次の選挙で自分の意志を表明することができればとも願う。
とにかく、あきらめずにおかしいものはおかしいと声を上げ抗議を続けたい。
以上、今日は、そしてナチスが私を連行したとき、それに抗議する人はもうどこにもいなかった~朝日新聞折々のことば・鷲田清一~2019/10/2を読んでの日記でした。