【なぜ人を殺してはいけないのか?】~高橋源一郎さん飛ぶ教室を聞いて思い出した筑紫哲也さんの番組でのある事件~
高橋源一郎の飛ぶ教室6/26を聞きました。
まずはその引用。
高橋源一郎著「読むってどんなこと」の、学校で教えてくれるはずの文章を読むの部分武田泰淳『審判』の朗読です。
日中戦争で戦場に行った兵士が中国人を殺してしまう有名なシーンなんですけどね。
実は2回ぐらい撃ってるんです。
撃たないでおこうとも考えました。しかしその次の瞬間突然、人をを殺すことがなぜいけないのかという恐ろしい思想がさっと私の頭脳をかすめさりました。
自分でも思いがけないことでした。
結局農民を撃ち殺してしまうんですね。
今度は別の村に行って、老農夫を撃ち殺してしまうんです。
こういう文章があります。
殺そうか、ふと何かが私にささやきました。殺してごらん。ただ銃を取り上げて打てばいいのだ。
殺すということがどんなことかお前ははまだ知らないだろう。
やってごらん、何でもない事なんだ。ことにこんな場合実際感情を抑えることすらいらないんだ。
自分の手で人が殺せないことはなかろう。ただやりさえすればいいんだからな。自分の意志ひとつできまるんだ。
その他に何の苦労もいらんのだ。
伍長が立ち去った後、この地球上には、私と老夫婦だけの3人だけが取り残されたような静けさでした。5月20日の午後です。
この兵士は撃ち殺してしまうんですね。
彼らは戦場へ送られました。そしては敵と呼ばれる何かを殺す生き物に変わるのです。
彼らを人から敵という他人を殺す生き物に変えたのは誰? あるいは何でしょうか。言うまでもなくそれは彼らが所属している国家あるいは社会と呼ばれる共同体です。
「殺してごらん」って言っているのは社会じゃないかと思うんです。
その声は私たちの内側に食い込んで、ひそかに出現の時を待っている社会が送り込んでいたウイルスのようなものではないかと思っています。
この社会が送り込んだウイルスが姿を現す最も効果的な瞬間こそ戦争です。その時初めてウイルスはその本当の姿を現し、社会が隠していたウイルスのDNA、そこに書き込まれた最後の真のメッセージを伝えます。それこそが社会の「敵を殺せ」という命令・・・
「なぜ人を殺してはいけないんですか?」と高校生の発言 筑紫哲也のニュース23 僕たちの戦争’97
前述の高橋源一郎さんの飛ぶ教室をラジオで聞きながら、私は20年以上前の「ある事件」を思い出していました。
今から20年以上前、その時私はテレビの前で固まってしまったのを記憶しています。
筑紫哲也のニュース23 僕たちの戦争’97という特番?で、高校生と筑紫哲也さんが討論をしていた時、その事件は起きました。
一人の高校生が「なぜ人を殺してはいけないんですか?」と声をあげたのです。
会場は一瞬固まり、筑紫さんもそれに明快な答えをすることができなかったように記憶しています。
見ていた私もテレビの前で固まってしまいました。
「なぜ人を殺してはいけないのか?」
「そんなのダメに決まっている・・・」
でもそれがその高校生の問いへの答えになっていないことにすぐに気づいて、固まってしまったのです。
「人を殺してはいけない」
それは、そう思っている、あるいはそう思っていると思っている人が生きている社会が、そう教えただけのことなのではないか・・・
逆に言えば、社会が、「こういう場合には(例えば戦争時)人を殺してもよい」と教えれば、人を殺してもよい理由になりうるのではないか・・・
その後、すっかり忘れてしまっていましたが、高橋源一郎さんのラジオを聞いて、その時の記憶がよみがえってしまいました。
同時に、「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いに、
天命を知る年齢になっても、いまだに明快な答えを持ち合わせていない自分にも気付きます。
「なぜ人を殺してはいけないのか」
社会が教えてくれたから・・・それ以外の理由を、もっと自分で考えなければいけないのではと改めて思いました。
以上【なぜ人を殺してはいけないのか?】~高橋源一郎さん飛ぶ教室を聞いて思い出した筑紫哲也さんの番組でのある事件~