知の泉

地方都市で子供に携わる仕事を、20年くらいやってます。受験・子育て・教育に関することやその他自分の知的好奇心をくすぐった話題を呟いています。時々自分で食べて美味しかったもの、これ欲しいなあというものも呟いたりしてます。

べてるの家の「非」援助論より~高橋源一郎の飛ぶ教室~「弱さ」って何か?

浦河べてる/べてるの家の「非」援助論より~高橋源一郎の飛ぶ教室~「弱さ」って何か?

毎週楽しみに聞いている高橋源一郎の飛ぶ教室2021/4/2 べてるの家の「非」援助論―そのままでいいと思えるための25章 (シリーズ ケアをひらく) の回から、気になった部分を記憶に残すために書き起こし。

 

終わりの21章、結論といえる部分です。

ここに※さっきも言ったたくさんの人たちが加わっています。

 

※べてるの家は、1984年に設立された北海道浦河町にある精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点です。べてるの家は、有限会社福祉 ショップべてる、社会福祉法人浦河べてるの家、NPO法人セルフサポートセンター浦河などの活動があり、総体として「べてる」と呼ばれています。

社会福祉法人浦河べてるの家 – 北海道浦河群浦河町築地 3-5-21

 

中心にいるのは精神分裂病(原文ママ)を中心とした精神に障碍がある人が、それを否定することなくそれを活かしてそれを認めて生きていって、なおかつ交流していくという姿なんですけど。

 

べてるの家の幾多の理念やキャッチフレーズは、ま、色々ある。その中で最も長く親しまれべてるの家そのもので表す言葉は、弱さを絆にである。精神障碍を定義する言葉は多々あるが、それは一言で言うと人付き合いに困難を生ずる病である。

 

およそ誰しもが生きていくうえで美徳とする社会規範、勤勉で思いやりに溢れ、 笑顔を絶やさず他人と強調するといったこととは正反対のことが起きてしまう。

 

それゆえ社会から孤立し特に身近な人間関係である家族や職場において軋みが生じ生きづらさを抱えてしまうことになる。礼節を重んじる一般社会の中では真っ先に叱責の対象となり排斥される。

 

当時はそれらの弱さは常に病気の症状の一つとして治療や訓練の結果克服すべきものとしてあった。

 

病気の克服と社会復帰という周囲の期待とそれができない現実とのはざまでいつも自分に鞭を振るいながら、暮らしていた。

 

べてるの家の歴史はまさにそのような経験を持った当事者同士が集うことから始まる。

 

よく引き合いに出されるのがハヤサカキヨシさん、彼の特徴は何をやっても長続きしないことである。ウルトラマンというあだ名がついたのも、何をやっても3分しかもたないという彼の特長を言い当てたものである。

 

1983年の4月にべてるの家に入居した彼は、暇を持て余し色んなアルバイトに挑戦した。

 

大工の下働きや木工所にも通った。しかしいつも長続きしない。

 

特に木工所では朦朧状態になって固まってしまい、べてるから向かいに行く結果となった。ところがですね、それが逆に3分しかできないということを逆手に取る。

 

もし、彼に人一倍の根気と他を寄せ付けない作業能力があったならば、現在のべてるの家の事業は始まっていなかったかもしれない。ハヤサカキヨシさんの弱さがあって、そしてそれを肯定することによってはじめて人をつなぐ絆が綿々とつながれた。

 

それが源流となって今に至っている。

 

普通の企業であれば10人でこなしている仕事を5人でこなせるようになることを重視し効率を上げようとする。しかし、べてるではそれが成り立たない。

 

1人の仕事を2人、3人でこなせるようになることがべてる流の効率化だからだ。

 

長時間働く能力のある人に短時間の仕事しかさせなければ、それは苦痛となる。

 

しかし、短時間だったら働ける人たちにとっては、短時間の仕事は満足なものとなる。

 

一週間毎日働く能力のある人たちにとって1日しか仕事がないと失業になるが、1日だったら十分働けるというべてるのメンバーにとっては1日の就労は就職に等しいものとなる。

 

これ全く新しい世界観ですね。

 

誰も無駄な人はいない。長い距離を走る人も短い距離を走る人もそこに優劣はない。

自分の走れる距離を覚え、それを周りに伝える力さあれば、一歩だけでもバトンは確実につながっていく。

 

弱さとはいわば希少金属や触媒のように周囲を活性化する要素を持っているのではないか。人の持つ弱さは、決して劣った状態として人の目をはばかったり隠されるべきものではない。

 

べてるでは弱さとは公開されて初めて威力を発揮するものとして尊重されている。

 

だから必要なのは弱さの情報公開である。個々の弱さの情報公開をすることを通じて助け合いが生まれ、結果としてリスクを回避する効果がある。こんなことも経験的に分かってきた。

 

最後に一言。

弱さとは強さが弱体化したものではない。

弱さとは強さに向かうための一つのプロセスでもない。

弱さには弱さとしての意味があり、価値がある。

このようにべてるの家には独特の弱さの文化がある。  

 

人間誰しも、「弱さ」を抱えて生きているのではないか。

 

そしてできればその自分の「弱さ」を克服できないかともがき苦しんで生きているのでもないか。

 

自分もきっとそうだ。

 

でも、その自分の「弱さ」にだって、意味があり、価値があるのではないかと気づかせ、考えさせてくれた、記憶に残る放送回でもあった。

 

以上、べてるの家の「非」援助論より~高橋源一郎の飛ぶ教室~「弱さ」って何か?

記憶にとどめるためのメモとして 

 

 

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