大竹しのぶ演ずる歩き巫女が『雪の日は出歩くな。災いが待っている』と喋ったのは実朝暗殺のフラグ
公暁が実朝を八幡宮で暗殺した日は雪が降っていたとされています。
大竹しのぶ扮する歩き巫女が35回鎌倉殿の13人で
『雪の日は出歩くな。災いが待っている』というセリフを発した時、
ネット上で
「実朝暗殺のフラグが立った!」と声が上がっていたのはそういうわけですね。
今後、「歩き巫女」はどんな形でまた現れるのでしょうか?
【鎌倉殿の13人】次はいつ誰が死ぬのか(歴史上での死ぬ順番・年号)
34回では北条 政範(中川 翼)が病死。
平賀 朝雅(山中 崇)がその死に絡んでいた可能性もありそうですが…
33回で善児がトウに殺され、33回でも北条時政、畠山重忠などに退場フラグが立っていたように思います。
以下、次は誰が死ぬのか歴史上での死ぬ順番・年号について整理しておきたいと思います。
なお、完全に個人的趣味なので、
鎌倉殿の13人で、三谷幸喜氏がどのようなストーリーにするのかとは別問題です。また、今後の展開のネタバレは見たくないという方はご遠慮ください。
【鎌倉殿の13人】次はいつ誰が死ぬのか(歴史上での死ぬ順番・年号)のメモ
畠山 重忠 (中川 大志) 元久2年(1205年6月22日)畠山重忠の乱
平賀 朝雅(山中 崇) 元久2年(1205年8月2日)山科で自害
和田 義盛 (横田 栄司) 建暦3年(1213年5月24日)和田合戦
北条時政(坂東 彌十郎) 建保3年(1215年6月)牧氏事件で隠居後腫物で死去
源実朝(柿澤勇人) 建保7年(1219年1月27日)八幡宮にて公暁に暗殺※
三善 康信(小林 隆) 承久3年(1221年8月9日)
北条 義時 (小栗 旬) 元仁元年(1224年6月13日)病死
大江 広元(栗原 英雄)嘉禄元年(1225年7月16日)
北条政子(小池栄子) 嘉禄元年(1225年8月16日)病死
実衣=阿波局(宮澤 エマ)嘉禄3年(1227年12月13日)
三浦義村(山本 耕史)延応元年(1239年12月31日)
北条 時房(瀬戸 康史)延応2年(1240年2月18日)
北条 泰時 (坂口 健太郎)仁治3年(1242年7月14日)