子供は褒めて育てる?
子供は褒めて育てれば、その子は自信を持ってどんどん伸びていくって言われてたりします。だから、子供をどんどん褒めて育てよう!・・・本当にそうなのでしょうか?
「子供の上手な褒め方」について2015年の一橋大学の英語の入試問題に興味深い題材が扱われています。
以下はその日本語訳の要約です。
「ある研究で、128人の子供たちに数学の問題を解くように求めた。その後、1つのグループの子供たちには『本当に良くできたね。頭良いね』と、その知性を褒め、もう1つのグループの子供たちは『本当に良くできたね。きっとすごく頑張ったんだね』と、そのその努力を褒めた。
その後、同じ子供たちに、より難易度の高い問題を解かせると、その結果は劇的だった。
努力を褒められた子供たちの方が、新しい解法を編みだそうと強い意欲を示し、自分の失敗を自らの努力不足のせいにして、自分の知性が不足しているせいにしない傾向が強かった。
それに対して、頭の良さを褒められた生徒は、失敗に関して心配する度合いが強く、また、自分がすでに知っていることを確かめる問題を選択する傾向が強く、問題の難易度が上がると諦めるのがより早くなった。
さらに、その実験のことを、手紙に書いて伝えるように求めると、頭が良いと褒めらた生徒の内の何人かは、自分の点数を水増しするというウソまでついた」
どうですか?
子供を褒めるべきは「その子の努力」で、子供の「賢さ」を褒めるべきではない
巷では、『子供を褒めて伸ばそう』ということも言われていますが、『褒めてあげるべきはその子の努力』であって『その子の賢さを褒める』ことは、その子を伸ばすどころか、『伸びない子』に結果してしまう可能性すらあると、この一橋大学の入試英語の文章は述べているのです。
同じように『あなたはやればできるんだから』という子供の励まし方も、危険です。励ます親や先生は、『あなたは、やればできる能力があるのだから』と励ましているつもりでしょうが、その励ましは言外に『あなたは能力があるのだ』と褒めているのと一緒なのではないでしょうか。
親や先生は、少しでも子供の努力する姿に注目し、『頑張っているね』とその子供の努力を褒め、さらに努力しようという気持ちを持ってもらう必要があるのではないでしょうか?
では、親はどうして安易に子供を褒めてしまうのか?
一橋大学の入試英語はさらに続きます。
「では、私たちはどうしてこうも自分の子供を褒めることにこんなにも熱心なんだろう? それは、子供を褒めることで、自分たちは、自分たちの親たちとは違うということを示そうとしているからだ。(以下かなりの要約)子供を褒める親世代は、自分たちが子供の頃は、その親世代に賞賛されたり褒められたりしなかった。だから、今、子供たちを褒める親世代は、自分たちは、自分たちの親世代とは違って、自分の子供たちを褒めることで、自分がどれほど素晴らしい親であるかをアピールし、自尊心を高めているのだ。でもそれは、自分たちが、親から無思考な批判を浴びせられていたのと同じやり方で子供たちに空虚な褒め言葉を与えているだけだ。つまり、子どもたちを批判ばかりすることも、むやみに褒めることも、究極的にはどちらも『子供たちへの無関心』を表しているだけなのだ。」
子供たちの気持ちを考えずにむやみに批判し、叱りつけてしまうことも、安易に褒め言葉を与え続けることも、子供たちにとっては『ああ、私のことを本当には見てくれていない』という『親の子供に対する無関心』を示しているのだというのです。
どう上手に褒めるかは、子供にどう接するかが大切
一橋大学の入試での英語長文問題では、こう結んでいます。
「寄り添うことが子供の自信を築くのである。寄り添ってもらうことで、子供たちは自分が人から関心を払ってもらう価値がある人間だと知ることができるからである。そして、『寄り添われているという気持ち』こそが、褒め言葉よりも私たちが欲しているものではないだろうか。」
私たち親世代は、ややもすると子供を批判したり、叱りつけたりしたくなります。『成績があがらない』『友人関係がうまくいかない』時などは『なんで、勉強しないの!』『なんで、もっとうまく出来ないの!逃げないで!』等と感情をぶつけたくなったりもしがちです。逆に、叱ってもダメなら褒めたらよいのかと、『あなたはやればできるのよ』『悪いのはあなたじゃないから』と安易に褒めたり励ましたりしてしまうのかもしれません。
でも親が悩んでいる以上に、子供ら自身が悩んでいるのです。その悩みに関心を持ち、寄り添い、『あなたは一人じゃないのよ。みんなが見守っているのよ。』『あなたが、今悩み、苦しんで、でも先に進もうとしているその努力こそが賞賛に値するし、いずれ実を結ぶことになるのよ』ということを伝え続け、『寄り添い続ける』ことこそが、私たち親世代に求められていることなのだと思います。