表現の自由が自由権の中でも特に大切だとされる理由~「表現の不自由展」展示中止の今考えてみる。
あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」展示中止の問題をめぐって、様々な意見が飛び交っています。
以下、以前にエントリーした「自由権どれが大切か順番をつける???」という自身の記事をリライトしてみます。
自由権どれが大切か順番をつける??? 中学公民の教科書
中学3年生の公民の教科書(東京書籍)に、上のようなページがあります。
A 言いたいことを自由に発言する自由
B 住みたいところに住む自由
・・・・
H 自分の就きたい職業を選ぶ自由
I 手続きなしに逮捕されない自由
『これらを自分にとって「なくては困る」と強く考えるものを上から順に書きましょう』というのです。
しかもご丁寧に、右わきには「とても大切」~「それほど大切でない」と矢印までついています。「それほど大切でない自由」などあるのでしょうか。
自由権の中で表現の自由が特に大切とされる理由
しかし、「言いたいことを自由に発言・表現する自由」=「表現の自由」が、上記の中でも特に重要視されることがあります。
もし、表現の自由が侵されれば、例えば時の政府に批判的な意見を述べづらくなります。主権者たる国民の政治的意思決定をしていくためにも、民主政治の大切な過程として自由な言論が保障されるべきだと考えられるので「表現の自由」の大切さが強調されるのです。
以下、浦部法穂・法学館憲法研究所顧問の言葉の引用です。
人権について、《これが一番重要で、二番目はこれ…》、といったようなかたちで「序列化」してしまうのは、正しくない。
にもかかわらず、表現の自由の重要性ということがとくに強調されるのはなぜなのか。
それは、表現の自由というものが、最も権力によって傷つけられやすい性質の自由であり、人権のなかで一番不当な制限を受けやすいものだからである。
そのわけは、こうである。権力の側に立ってみると、表現の自由は、民主主義の権力としてのたてまえを前提とするかぎり、みずからの正当性の源泉として不可欠の自由である。それに、表現の自由は、権力に対する批判や反対が、暴力や革命にまで進展しないようにする「安全弁」としての役割を果たすこともある。
そのかぎりで、権力の側にとっても、表現の自由は、一定の程度まではなくてはならないものである。しかし、逆に、手放しで表現の自由を認めるならば、権力そのものやそれを支えている既存の秩序を破壊する反体制的な活動を勇気づけることにもなってしまう。
だから、権力の側からすれば、そういう危険は芽のうちに摘み取っておこうというわけで、権力やそのよって立つ既成秩序を脅かしそうな言論は、可能なかぎり抑圧しようとすることになる。その場合、正面から権力にとって危険だという理由を掲げて制限を加えることは、権力自身の民主主義的正当性を傷つけることになるから、利口なやり方ではない。
したがって、やれ交通秩序の維持だの街の美観だの善良な風俗だの、その他もろもろのもっともらしい理由がつけられることになる。
つまり、表現の自由が制限されている場合、一見もっともらしい理由がつけられていてもじつは権力にとって都合の悪い表現行為を抑圧することが目的である、という場合が少なくないのである。
詳しくは下記リンクよりご覧ください。
自由権のどれが大切か順番はつけられないと思う。でも、表現の自由はその中でも特に大切
上記の公民教科書ではそのような「表現の自由が特に大切とされる」ということを伝えようという意図は特に感じられません。また少なくても私が聞いた中3生によると、「グループでどれが大切か話し合って、それを発表して終了」という授業が行われてたそうです。
そうするとやはり、中学の授業で「自由権のどれが大切か順番をつける」ということは「あまり大切でない自由権がある」と子供の潜在意識に埋め込まれることにつながりはしないでしょうか?
やはり、「精神の自由」「身体の自由」「経済活動の自由」どれをとっても欠くことができない「大切な自由」であると教えるべきなのではないでしょうか。
自由権の大切な順番をつけろという教科書の構成・指導には大きな疑問を持たざるを得ません。
むしろ
「自由権はどれも同じくらい欠くことができない。しかし、その中でも特に表現の自由は民主的な国家の中においては極めて重要である」
ということについて、
「表現の不自由展」展示中止の今、子供たちだけではなく、私たち大人も考えていかなければいけないのではないでしょうか。
なお、個人的には大村知事の発言に賛成の立場です。願わくば、補助金事業だからこそ、暴力的なメール・電話から公の方が「表現の不自由展」展示継続を守ることができればよかったのにという思いです。
以上、表現の自由が自由権の中でも特に大切だとされる理由~「表現の不自由展」展示中止の今考えてみました。