知の泉

地方都市で子供に携わる仕事を、20年くらいやってます。受験・子育て・教育に関することやその他自分の知的好奇心をくすぐった話題を呟いています。時々自分で食べて美味しかったもの、これ欲しいなあというものも呟いたりしてます。

「ナチスは良いこともしたのか」高橋源一郎さんと逢坂冬馬さんが語る

「ナチスは良いこともしたのか」高橋源一郎さんと逢坂冬馬さんが語る~高橋源一郎の飛ぶ教室2023/11/15から~

検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?小野寺 拓也 (著), 田野 大輔 (著)

以下、いつか公式HP読むらじるが閉じられる日に備えて、感想を添えて記憶に残すため残しておきます。

高橋:
番組の前半でやった「ヒミツの本棚」。『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』という本。
逢坂さんも、もちろん読んでいて。

逢坂:
はい。そうですね。

高橋:
面白いですよね、この本。

逢坂:
やっぱり面白いですね。
ひとつひとつの、「一見、良いことのような政策」があったという事実を検証し、その背景にどういう思想があったのかということを検証していく。そして本当に、どういう効果をもたらしていったのかということも検証していくと、やはり総合的に見てそのひとつひとつの政策はとても良いことではない、というふうに見えていく。

高橋:
う~ん。

逢坂:
例えば、女性政策から言えばですね、確かに多産政策は推奨してたんですけれども、一方で大学教育なんかは極めて抑圧的でしたから、女性生徒の割合は1割以下にしなきゃいけないという決まりまで作っていた。そういうのと表裏一体で、かつ自分たちが国民と認めない範囲の人たちは、むしろ子供を産んではいけないという法制度と共になされていたということから、やはり、とても「良いこととは言えない」という結論が導き出されていく。
こういうことが繰り返し反復されることで、そもそもナチズムというのは政策面で何を目指していたのかというのが、より明瞭に見えてくる。
あの~、逆説的なんですけど、ナチズム入門に非常にうってつけの…、

高橋:
そう、そう。

礒野:
ええ。

逢坂:
ナチズムの政策とは何を目指していたのか?、で、どれほど邪悪だったのかというのを、ひとつひとつの、「一見、良いことに見えること」を検証することによって見えてくる。すごくいいブックレットだと思います。

高橋:
面白い本で、本来これはさ、反論本のはずだったのに、逆説的に「ナチスとは何か?」っていうのを、こういうやり方ですれば、よくわかるのかっていう!

逢坂:
そのとおりですね。

高橋:
ね! 結果として、そうなっちゃってますよね。

逢坂:
これが例えばナチズムの場合、いかに邪悪であったかっていう主題であり、そういうタイトルのつけ方であったらば、たぶん、これほどの反響はもたらさなかったと思うんですね。

高橋:
そう、そう、そう…。

逢坂:
1個1個の、ひとつひとつの「良いことのようなもの」を検証していくと、結果的にナチズムの全体像、目指すべきと彼らが考えていたものがわかる。それがまぁ、このブックレットの特徴ではないかと思います。

高橋:
それはね、僕も本当に常々思うことで、まぁこれ『ナチスは「良いこと」もしたのか?』っていう、ある意味キャッチーなタイトルだけどさ…、

逢坂:
はい。

高橋:
「戦争は良いのか?」とかね。

逢坂:
ええ、ええ。

高橋:
「あの戦争は良かったのか」って…、「悪い」っていう本は、死ぬほど読んでて…。最近は「良い」っていう本もけっこう出てくるんだけど(笑)。

逢坂:
はい。

高橋:
やっぱりこう、みんなが同じことを言うと、なんて言うんだろうね、僕らの中に反抗心があるよね?

逢坂:
まぁ確かにそうですね。
結局その反抗心が、知的訓練を踏まえずに、トリビア的なものに飛びつくっていうのがいちばん危険だというのが、この本の言いたかったことでもあると思います。そして、それらというのは、一昔前であれば、よほど変な人でもなければ言わなかったし、言おうとしても本にはならなかった。

高橋:
う~ん。

逢坂:
ところが今、インターネットで発信力っていうものを、みんな良くも悪くも身につけてますから、「世の中で言われていることは本当なのか?」ということから実証的な、歴史的な研究というものを踏まえるということをせずに、どこかで聞きかじったようなことだけをとらえて、「ナチズムが実は良いこともしたんだ」というような結論を、容易に導き出してしまう。そして、それらが一定の発信力を持ってしまうのが、まぁ現代の恐いところですね。

高橋:
恐いところだよね~。

逢坂:
ですので、このような論法をひとつひとつ検証していくことがですね、結果的に他の類似する陰謀論というようなもの、あるいは歴史修正主義に対するですね、思想的な免疫になっていくのではないかというふうに考えています。

高橋:
あの~、この本の最初のところで、トランプが言ったといわれて、実はあとで否定している…、「ヒトラーは良いことを沢山した」と。

逢坂:
あ~!

高橋:
トランプ自身はフェイクニュースであるとしているんですけども、あの~、トランプ自身がね、言ってみればそういう、この種の「文句」の発信元、メーカー、ですよね。また、すごいのは、否定されても平気なんだよね。

逢坂:
まぁ、あのね~、なんであんなに嘘ばっかりつくのかっていう風に言われて。
(トランプ政権に関しては)報道官が嘘をついてるんじゃなくて、もう1つの事実を提示してるんだ、って言った人がいて。

高橋:
ついに!

逢坂:
あの~、「はぁ?」っていう反応が、アメリカでオーウェル(=ジョージ・オーウェル。『1984』の著者)がバカ売れしたという現象を導き出したわけですけども…。

高橋:
だからね~、ちょっと、今までの常識が通用しなくって、確かに、おかしな人、変なことを言う人はたくさんいたけど、どっかでブレーキがかかってたんだけど…、

逢坂:
はい。

礒野:
ええ、ええ。

高橋:
なんか、ある時期から、ついにブレーキがかかんなくなって、いくら何言っても平気?

逢坂:
何やっても平気な…。
失言が失言扱いされないし、致命傷にならないっていう…。

高橋:
うん。

逢坂:
それでまぁ、安易に相手をヒトラー化して、ナチになぞらえるのも良くないんですけれども、ただ、真剣にヒトラーを研究してる人がトランプを警戒する理由ってのも、その辺にあるんです。
ヒトラーって非常に下品な大衆扇動家だと思われて、侮られて、徐々に台頭してきた。最後には結局「民主主義の否定」に至る。
だから、ここからなんですよね、トランプにある種の類似性を見出されてしまうのは…。

高橋:
うん。でね~、アメリカ大統領選挙も近づいてきましたが、アメリカ大変ですね(笑)。

逢坂:
これからあと1年の間でどうなっていくのか、わかりませんけれども、う~ん。

高橋:
ただね、この小野寺さんと田野さんの本は、「落ち着け」っていうね。とりあえずね。

逢坂:
そうなんです。

高橋:
う~ん。で、まぁ怪しい言説っていうのは、今までもたくさん生まれてきたし、で、今も毎日のように生産されてるでしょ。

逢坂:
はい。

礒野:
うん、うん。

高橋:
それで、そういうことを言ってる人は、何言われても平気! あはっ(笑)。

逢坂:
そうなんです。これにですね、今も噛みついている人がたくさんネットにいるんですよ。

高橋:
う~ん。

逢坂:
その人の特徴は、中身を読んでないんです。タイトルだけ。

礒野:
あ~。

逢坂:
「物事には必ず良いことも悪いことも両面あるはずだ」とか、「アウトバーンを作ったじゃないか」とか、もはや本の中で否定されてるようなことを平気で言ってるわけですね。田野先生は、それにひとつひとつ丁寧に反論して、「それも研究されています」と言うんだけど、読まないんですよ。

高橋:
うん。

逢坂:
最終的に導き出しちゃった3つ目のパターンというのが「読まないけど文句だけつけたい人」というパターンなんですよ。

高橋:
そう、そう、そう。あはははっ(笑)。

礒野:
まずは、まずはね。読んで…(苦笑)。

逢坂:
どこにもに当てはまってない人たち。

高橋:
もうね~、説得は不可能だよね。

逢坂:
そこまでいっちゃうともう駄目っていう…、一時期言われた「ポスト・トゥルース」の体現なのかもしれないとは思いますね。

逢坂さんの新著『歌われなかった海賊へ』
礒野:
逢坂さんは、著者のお1人の田野さんと、今回の新作でご一緒されたそうですね? 監修をされていると…。

逢坂:
そうですね。監修をお願いして、その決まった直後に、『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』が発売された。

高橋:
じゃあ、『検証 ナチスは…』は知らないで、っていう感じだったんですか?

逢坂:
そうですね。お願いする段階では、やはりなんと言いますか、あの~、ナチズム研究が本職でいらして、そして、なんと言いますか、フットワークが軽いという印象がありましたので、やってくれるんじゃないかなという期待も含めて、お願いしたらOKをいただいた。

高橋:
どういう方なんです?

逢坂:
あの~、大変気さくにお話していただける方で、小説については、基本的に、明らかな歴史的な間違いであるとか、あるいはドイツ語の日本語表記で間違ってるところ、用語の間違いといったものを見ていただいたんですけれども、中にはけっこう小説の核心に触れるところで、おかしな描写をしているのも原稿の段階ではあったんですけれども、それも大幅に修正したんですが、その際に、ただ頭ごなしに否定するのではなくて、この部分はあり得るけれども、ここからここまではちょっとおかしいから、こうしたほうがいいっていうような案もいただけた。本当に監修をお願いして良かったというふうに思える先生でした。

高橋:
説得しようとしているよね。なんでも。

逢坂:
やっぱりきちんと事実をベースに語っていただけるので、世に出てみれば、タイミングも含めて、これほど適任の方もなかなかいなかったのではないかと。やはりモノがモノだけに、間違ったことを書いちゃいけない、っていうのは、小説とはいえ徹底しなきゃいけないと思いましたね。

高橋:
僕ですね、『歌われなかった海賊へ』を先に読んで、『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』は後で読んだんです。
そしたら、すごい、いい解説書! ある意味で(笑)。

逢坂:
これはもう、本当に、内容の作りとしてはもちろん偶然なんですけど。結局僕が『歌われなかった海賊へ』でやったことって、作りとしては、結果的にナチズムの敵対者になる青少年たちの動きから、その彼らが直面していた市民社会というものがナチズムとどう向き合ってたのか、ということなんですね。あの~、それを検証していくというか、小説の中で言及していくと、まるで良いことをやっているかのような面が出てきてしまうっていう。明らかな残虐行為をしているということに言及することによって、それも市民社会に組み込まれた残虐行為とか…、まぁはっきり言って、強制収容所はどういう機能を果たしていたかということなんですけれども。だから表裏一体をなしてる作品なのかな、というような感じはしました。

高橋:
あのね~、小野寺さんと田野さんの『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』を読んで、よくわかったというか、知ったんですけど、最近のナチ研究は、組織としてのナチというよりも、国民、

逢坂:
そうですね。

高橋:
まぁ、「民衆自身の罪」のほうへ目を向けているっていうことは、この本にも書かれていて。
逢坂さんの『歌われなかった海賊へ』の1つのテーマも、やはり、民衆の問題が追及されているということで、けっこう、まぁ、偶然といえば偶然かもしれないし、必然といえば必然かもしれないんですよね?

逢坂:
そうですね。

礒野:
ぜひ、どんなお話なのか、あらすじを簡単にご本人から…。

高橋:
僕が言ってもいいんですけど、言っちゃいけないことまで言うかもしれないので(笑)。

逢坂:
あ~、はい。
ドイツ末期戦の1944年から物語が始まるんですが、厳密に言えばね、現代パートがその前にあって、なんでそういう交錯する形になってるのかは本編を読んでいただくとして。
本編自体は1944年の、敗戦間近だってことがわかってるんだけども、誰もそれを言えないっていう感じのドイツで、主人公はいろいろあって、父親が密告されて死んでしまった。で、その密告した相手を、自分も死ぬ覚悟で殺そうとしているところから始まる。そこに「一緒に遊ぼうよ」というふうに言ってくれる子がいるんですね、2人。ヴェルナーという少年がそれをやろうとしてるところに、レオンハルトとエルフリーデという2人が現れる。
で、彼らが「エーデルヴァイス海賊団」というものを自称して、ヒトラー・ユーゲントに戦いを挑む。それを「遊びだ」というふうに捉えている。そういうふうにしてヒトラー・ユーゲントに闇討ちを食らわしたり、お酒を飲んだりして過ごしているうちに、まぁ、徒歩旅行を敢行する。徒歩旅行の果てに、はっきり言って強制収容所を発見するんだけど、そこからじゃあ、彼らは一体何をしていくのか。
あのまぁ、そういった小説です。

高橋:
そこで彼らの選択が何かっていうことが…、

礒野:
少年たちのね、

逢坂:
少年たちの、そして社会の…。

高橋:
テーマになっていますが、それは言えません、と(笑)。

礒野:
ぜひ読んでいただいて、ですね~。

高橋:
「なるほど!」っていう選択をするんですが、1つ思ったのは、実はね今回、逢坂さんの本を読むまで、「エーデルヴァイス海賊団」を知らなくて、ドイツの青少年たちの抵抗組織の話はね…、

逢坂:
ええ。

高橋:
別に、有名なのがありますから…、

逢坂:
「白バラ」とかですね。(白バラ:第二次世界大戦中のドイツで行われた学生などによる反ナチ抵抗運動)

高橋:
そちらのほうは知ってたんですけど、この、まぁ不良少年? まともに「戦争反対」で戦うのではなくて、なんていうか、遊びで戦う、と。

逢坂:
そうです。

高橋:
ナチたちが推し進めているような「まっとうな人間」を作る路線の正反対を行く子たちが、てんでばらばらにいたというのは知りませんでしたね。

逢坂:
はい。

高橋:
これは逢坂さんは、いつ知って、どうして書こうと思ったんですか?

逢坂:
これについては割と比較的明瞭に記憶してるんですけど、2017年にですね、もともとは、ヒトラー・ユーゲントのある写真をインターネット上で発見したんですね。それはまぁ本当に年端もいかない、いたいけな少年がヒトラー・ユーゲントの制服を着て重機関銃に向かってるという、本当に壮絶な写真で、今にして思えば明らかにプロパガンダ用の写真なんですけど、ふと、そのことを考えたときに、漠然としか知らない、かつては政党の青少年団から始まって、末期には軍事利用されたヒトラー・ユーゲントとはいかなる存在だったんだろうか、ということが気になった。

高橋:
ヒトラー・ユーゲントが先だったんですね。

逢坂:
最初には…。
それでインターネットの「論文検索システム」をよく使うんですけど、そういうときって。
いろいろ論文を検索したらですね、今のところ日本では唯一「エーデルヴァイス海賊団」ついての専門書をお書きになった、竹中暉雄先生ですね、

高橋:
はい、はい。

逢坂:
短い論文が出てきまして、そこで初めて存在を知ったんですね。で、なんて面白い人たちなんだろうって。

高橋:
面白いよね~!

逢坂:
つまり、明らかに反体制的なメッセージを放ち、そして、そのように認識されながらも、政治的背景が一切存在せず、主たる活動はヒトラー・ユーゲントを見つけ次第、ボコボコにぶん殴るという、こんな人たちがいたんだっていう…。それらをどう捉えるかっていうのはアマチュア時代に1度やろうとして…、

高橋:
そうなんだ。

逢坂:
まぁ、うまくできなかったんですけど、これとは全然違う形式の小説を1回書こうとしたんですけれども、うまくいかなくて…。
『同志少女』を書いたあとも、いろんなまぁ、自分の中での反動と反省を宿題として「もう1回やってみたいな」という気持ちになったのが、まぁこれが出発点でしたね。

高橋:
反動と反省って何?(笑)。

礒野:
そうですね~。伺いたい!

逢坂:
やっぱりね、ありとあらゆる面で、僕はやっぱり準備ができてなかったんですね。あの原稿を2020年に書いていたときは…。

高橋:
うん、うん。

逢坂:
「目指せプロ!」っていうところで書いていた。あんなにたくさんの人にお読みいただくことにも準備ができていなかったし、有名な本屋大賞をはじめとして、有名な賞をいただくことにも準備ができていなかった。そして何より現実でロシアがウクライナの侵略戦争を仕掛けて…、

高橋:
そう! あれはびっくりしたけどね。現実になっちゃったもんね。

逢坂:
それを投影した読みがなされるということには、当然準備ができていなかった。

礒野:
ええ。

逢坂:
こういうふうに考えたときに、しょっちゅう、その現実の戦争のことばかり聞かれるようになって、「どうしよう」というふうに考えましたし、ああいうふうにフィクションの中で戦争を描いてよかったんだろうか、ということも真剣に考えた。この後、全く、なんて言うか、全然違う路線のものを出すっていう案も当初はあったんですけども、ちょっとそれはやるべきじゃない、っていうふうに考えたんです。
そういうふうに考えたときに、そもそも私は『同志少女よ、敵を撃て』っていう作品の中で、戦争に向かう兵士の内面の変化とかそういったものは主題にしたけれども、市民社会と戦争ってものをあんまり書いてなかった。ほんのちょっと出てくるんですけれども。

高橋:
市民社会は出てこないよね、あんまりね。

逢坂:
スターリングラードで一瞬だけ出てくるくらいで。そもそも絶滅戦争の前線で戦ってる人たちの話だと、そこが描ききれてない。それを、日本の戦争では、まぁなんというか、被害体験に依拠して描くのはよくあるんだけど、そうじゃなくて…。
かといって、いわゆるレジスタンスとも違う、自分たちの楽しみからその「戦争というものに反対する方」に関与できる、あるいは、まぁそれだけじゃなくて、結局、迎合する、加害、市民社会を滞りなく送ること自体が戦争に対する加担行為にもなりうるという両面をどっかで描くべきだと思ったんですね。で、今こそエーデルヴァイス海賊団を素材に変えれば、それはどちらも描けるんじゃないかというふうに思ったんですね。

礒野:
へぇ~!

高橋:
だから、いわゆるナチスと戦う反戦側しか出てこなかった多くの物語に、どこにも属さないエーデルヴァイス海賊団っていう少年たちと…、

礒野:
市民ですよね~。

高橋:
そして、なんていうか…、

逢坂:
普通の…、ホントに普通の…、

高橋:
普通の困った市民たち?

逢坂:
はい。

高橋:
あのね~、要するに、国民が、え~、ナチを支えてった。主役たちではないんですけども、特に後半のほうにいくと、一般市民と言われる人たちの姿が、すごく鮮明に出てきて、なんか、知らなかった戦争のことがちょっと見えてくる、というふうに思いました。

礒野:
リスナーさんからメッセージをいただきました。
ラジオネーム「楽園のかえる」さんからです。

『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』を1度読んでみたいと思っていました。日本ではナチスの批判はできても、戦前の日本の批判はもはやできなくなっていると思います。戦前日本の良いことがもてはやされていますが、批判には「反日だ!」が浴びせられる。この本などを機会に日本人が日本の負の歴史も深く考え、知識を得られるようになればと思う。

ということでした。ありがとうございます。

高橋:
ありがとうございました。

逢坂:
実はそういうブックレットも出てますので…、

高橋:
ぜひ!

逢坂:
ぜひお読みください、ということでございます。

高橋:
もう時間がなくなってきちゃったんですけど、『文学キョーダイ!!』という、お姉さんの奈倉有里さんと逢坂さんの本がすごく面白くって、いろんなことをここで聞きたかったんですが、最後に、ええと…、小説家として発言もするけど、デモもやるよっていうって話を最後のほうで書いてましたけども!

逢坂:
ガザの侵攻反対の抗議運動に、このあいだ大使館の前、前と言っても近づけてくれないから最寄駅みたいなところでやるんですけど。麹町の。そのときにですね、忘れられない光景があって。

礒野:
行かれたんですね。

逢坂:
実際に行ったんです。
パレスチナから帰ってきたばかりの日本人の学生に続いてですね、アメリカ人でユダヤ人で、自身がホロコーストの生還者の子孫という若い女性の方がスピーチされてたんですね。英語と日本語を交えながらスピーチでしたけれども、「私の両親はホロコースト生還者の子孫だということを誇りに思ってて、イスラエル軍に関係する会社で働いてるから、もう会話することも難しくなってきたけども」と言った上で、英語で、「しかし我々のこれは宗教ではない」「我々の信仰はこんなことをしていけないと言っている」「軍事侵攻をやめなければならない」って。

高橋:
うん。

逢坂:
そのときに、向こう側で、パレスチナの、おそらくは人たち、国旗を振っているパレスチナの人たちから、「Palestine will be free」という同調するコールと拍手が巻き起こった。それを見たときにですね、戦争に反対するという立場であれば、全く反対の立場であっても協力できるのに、でもなんで、現実にこの戦争が終わらないんだろうという、希望と無力さを両方とも感じた。
でも、そういうことを見に行くことも、ひとつ、デモに行く動機であるし、行く意義であると感じました。

高橋:
これは逢坂さんの作家としてのフットワークの軽さと同時に、作家はどこでも行って、何でも見て、何でも書かなきゃ駄目だよね。

逢坂:
そのとおりです。やっぱり本当にね、宮内悠介さんみたいに同業者の方であれば、実際にアフガニスタンまで行ったりすることもある。そこまではなかなかできないんですけれども…。

礒野:
逢坂さん…、また是非お越しください。あっという間のお時間でした。

以上、NHKラジオ、読むらじるから引用

【飛ぶ教室】「きょうのセンセイ ~作家 逢坂冬馬さん~」|読むらじる。|NHKラジオ らじる★らじる

 

私はこの放送を、「ナチス」の部分を「今の日本」とか「今の世界」に脳内変換して聞いていました。

 

確かに「怪しい言説っていうのは、今までもたくさん生まれてきたし、で、今も毎日のように生産されてる」ように日々感じているし、

「そういうことを言ってる人は、何言われても平気」とはまさにその通りだとも感じました。

 

そういえば最近

広島市の新任職員研修の中で、松井市長が教育勅語の一部を使って毎年春、教育勅語が「博愛」や「公益」の尊さを説いた部分を研修資料に引用し、講話を続けてきたなどというニュースもありました。


1948年6月19日、衆議院では「教育勅語等排除に関する決議」案が、参議院では「教育勅語等の失効確認に関する決議」案が可決され、教育勅語は排除され国会では明確に教育勅語は否定されているのですから批判は当然のことだと思います。

 

【参考】教育勅語等の排除失効確認に関する決議⇒

http://www.stop-ner.jp/chokugo.html

 

それにも関わらず、批判を浴びたのちも

「教育勅語を再評価すべきとは考えていないが、評価してもよい部分があったという事実を知っておくことは大切。今後も使用を続ける」

と市長は語っていますから、まさに「何言われても平気!」というところです。

 

怖いのは、そのニュースは一瞬世間を賑わせましたが、その後世間もマスコミも何も語らなくなってしまっていること。

 

私たちには、そういった「批判を浴びても、そんなことはないと強弁して平気な顔をしている人」を忘れることなく継続的に「おかしいものはおかしい」と言い続ける「不断の努力」が求められるのではないかと思います。

 

以上、「ナチスは良いこともしたのか」高橋源一郎さんと逢坂冬馬さんが語るの引用と感想を残しておきます。