春を待つ~津軽の冬至の日に~
春が来ると津軽の人はどこかホッとした顔になります。雪に覆われていた道路が姿を現し、春風に埃が踊り舞います。流れる水が温み、少し残った雪の脇に蕗の薹も顔を出します。春の農作業で忙しい人たちが荒っぽい運転で行き交い、都会から来た人がのんびり車を運転していようものなら「タラタラすんな。農家は忙しいんだ!」と怒鳴られることもあります。でも顔を見れば、待ち侘びた春が来たことを皆喜んでいることが分かります。
「春」の対極にあるのが「冬至」。その時期津軽では青い空を見ることは滅多にありません。陰鬱な鉛色の空を眺め、横殴りの風に抗いながら雪掻きをする日が続くのです。
先の見えない暗闇の象徴でもある冬至。思いを変えてくれたのは、南国生まれの妻の一言でした。「ああ、明日からは少しずつ日が長くなっていくね。」
そうだ、今日を境に一日一日昼は長くなり、春が一歩一歩近づいて来る。冬至は春という明るい未来への転換点でもあるのだ、そう考えると冬至が何か特別に大切な日だと思えるようになったのです。
良いことばかりではない人生。今日がその特別な日であり、人生の荒波に抗いながらも蕗の薹が再び雪の下から顔を出す穏やかな春がまた来ることを妻と二人で信じ待ちたいと思うのです。