知の泉

地方都市で子供に携わる仕事を、20年くらいやってます。受験・子育て・教育に関することやその他自分の知的好奇心をくすぐった話題を呟いています。時々自分で食べて美味しかったもの、これ欲しいなあというものも呟いたりしてます。

言葉の力とは?- 高橋源一郎の飛ぶ教室で考えさせられたこと

言葉を発するということ~「高橋源一郎の飛ぶ教室」から~

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NHKラジオ「高橋源一郎の飛ぶ教室」

自分の知的好奇心を掻き立てるラジオ番組で、毎週楽しみに聞いています。

 

6/5放送の冒頭の高橋源一郎さんの話は、「言葉を発するということ」はどういうことなのかを考えさせ、自分の心にも深く刻み込んでおきたいものだと思ったので、書き起こして残しておきたいと思います。

 

前回の放送の直後、おそらくはSNSでの誹謗中傷のせいで、一人の若い女性が命を絶ちました。

その痛ましいニュースを耳にしながら僕は、この番組でも紹介した新型コロナウイルスの流行以降世界中で最も読まれている本「カミュのペスト」のある登場人物の言葉を思い出しました。

(中略)

誰でもめいめい、自分の内にペストを持っているのだ。なぜかといえば誰一人、全くこの世に誰一人、その病気を免れている者はないからだ。そうしてひっきりなしに自分で警戒していなければ、ちょっとうっかりした瞬間に他の者の顔に息を吹きかけて、病毒をくっつけちまうようなことになる。

自然なものというのは病菌なのだ。

その他(ほか)のもの、健康とか無傷とか、なんなら正常と言ってもいいが、そういうものは意志の結果で、しかもその意志は決して緩めてはならないのだ。立派な人間、つまりほとんど誰にも病菌を感染させない人間とは、できるだけ気を緩めない人間のことだ。しかし、そのためには、それこそよっぽど意志と緊張をもって決して気を緩めないようにしていなければならないのだ。

 

口から出る息に含まれ他人に感染して傷つけるもの、言うまでもなくそれは言葉に他なりません。ペストは、いやあらゆる人を傷つけるウイルスを僕たちはみんな持っているのです。僕は半世紀以上前からカミュの愛読者で、およそ手に入るものはみんな読んできましたが、今の言葉にカミュが生涯をかけたメッセージが詰まっていると思っています。人を傷つける言葉を吐くことがいけないことは誰でもわかる。けれどもなぜかカミューは誰一人、全くこの世に誰一人、その病気を免れている者はいない、というのです。

 

誰でも自分は正しいと思って言葉を発します。それでもその言葉はどこかで誰かを深く傷つける、どんな言葉でも。それが嫌なら沈黙するしかありません。それを知りながらカミューは言葉を発すること、書くことをやめませんでした。だからカミュの言葉は自信たっぷりではなく、戸惑いながら自分自身を疑いながら、怯えながら書かれています。それだけが、ペストのように感染し、人を傷つける言葉にならない可能性を持つことを知っていたのです。 

 

SNS上の誹謗中傷だけではなく、普段の生活の何気ない会話の中でも、私たちは知らず知らずのうちに人を傷つける言葉を吐いているのだ。

そしてそれを強く自覚しながらも、それでも沈黙することなく、言葉を発していかなければならないのだ。

それこそが言葉を発するということなのではないか。

今回の冒頭の話は、高橋源一郎さんからのそういったメッセージのように感じました。

 

以上、言葉を発するということ~「高橋源一郎の飛ぶ教室」~6/5放送分から書き起こし

kasikoi.hatenablog.com

 

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